旅ぶくろ

お江ゆかりの地をめぐる旅

お江
お江
浅井三姉妹の三女。小谷城、北ノ庄城と2度の落城を経て豊臣秀吉の庇護を受ける。12歳の時に佐治一成と結婚するが、秀吉に離縁させられ、2度目に豊臣秀勝と結婚するも、朝鮮出兵で夫が戦死する。3度目に徳川秀忠と結婚し、徳川第2代将軍御台所、3代将軍・家光の生母として過ごす。その子・和子は天皇家に嫁いでいる。
お江
浅井三姉妹の歴史年表
1560年(永禄三年) 桶狭間の戦いにて、織田信長が今川義元に勝利。
1561年(永禄四年) 織田信長と浅井長政が同盟を結ぶ。(他に永禄七年説、永禄十~十一年説など有り)
その後、信長は浅井長政に妹のお市を嫁がせ、浅井氏との関係強化を図る。
1567年(永禄十年) 織田信長が美濃の斉藤龍興を攻略。稲葉山を岐阜と改名する。
1568年(永禄十一年) 織田信長が南近江の六角氏を攻略。南近江平定後、足利義昭に奉じ上洛を果たす。
1569年(永禄十二年) 浅井三姉妹の長女・茶々(淀殿)が生まれる。
1570年(元亀元年) 織田信長が越前の朝倉氏を攻めるも、浅井長政に離反され、 からくも京へ逃れる。[金ヶ崎の退き口]
岐阜へ帰った後、信長は北近江に侵攻し、徳川家康の助力を得て、姉川の地で浅井・朝倉連合軍と戦う。[姉川の合戦]
この戦いの後、浅井氏攻めの要として木下秀吉を横山城におく。
この年に、浅井三姉妹の次女・お初(常高院)が生まれる。
1571年(元亀二年) 織田信長が抵抗を続ける浅井・朝倉氏に加担した比叡山を焼き討ちにする。
明智光秀が南近江の統治を任され、坂本城を築く。
1572年(元亀三年) 武田信玄が上洛を開始し、信長の同盟者である徳川家康を遠江の三方ヶ原にてやぶる。
1573年(天正元年) この年に、浅井三姉妹の三女・お江(崇源院)が生まれる。
上洛の途で、武田信玄が病没。
武田軍撤退後、信長は反信長の謀主であった足利義昭を京から追放。(室町幕府滅亡)
八月 信長は朝倉氏の本拠・一乗谷を攻略。(朝倉氏滅亡)
九月 信長は浅井氏の本拠・小谷城を攻略し、長政は自刃。
お市と三姉妹は信長により織田信包の保護下に入る。(浅井氏滅亡)
浅井氏攻略の功として、羽柴秀吉が北近江を与えられる。
1574年(天正二年) 羽柴秀吉が長浜城を築き始める。
織田信長が約4年にわたった伊勢長島の一向一揆を鎮圧する。
1575年(天正三年) 武田勝頼が長篠城を囲むも、織田・徳川連合軍によって設楽ヶ原で大敗する。[長篠の戦い]
織田信長が越前の一揆を平定し、柴田勝家がこれを領する。
1577年(天正五年) 上杉謙信が加賀国手取川で、織田信長軍を撃破する。[手取川の戦い]
1578年(天正六年) 上杉謙信が急死し、その混乱に乗じて織田軍が能登、加賀を侵略する。
織田信長により磯野員昌が追放され、信長の甥信澄が大溝城に入る。
1579年(天正七年) 安土城天守の完成。
1582年(天正十年) 織田信長が甲斐・信濃を攻略。武田勝頼も討死する。[天目山の戦い]
明智光秀の謀反により織田信長が自害。[本能寺の変]
羽柴秀吉が山崎にて明智光秀を破る。[山崎の戦い]
信長の遺領分配を決める清洲会議の後、お市が三姉妹を連れて柴田勝家の元に嫁ぐ。
1583年(天正十一年) 羽柴秀吉が柴田勝家と信長の後継をめぐって対立し、北近江の地で勝家を破る。[賤ヶ岳の戦い]
柴田勝家の居城・北ノ庄城が羽柴秀吉によって落城し、お市は勝家とともに自害。
三姉妹は城から脱出し、秀吉に保護される。
1584年(天正十二年) 三姉妹の三女・お江が尾張の武将・佐治一成に嫁ぐ。
羽柴秀吉、徳川家康と尾張国内で対峙するが、勝敗は決せず和睦する。[小牧・長久手の戦い]
この際、佐治一成が徳川方に味方したため、秀吉はお江を離縁させる。
1585年(天正十三年) 羽柴秀吉が四国を手中に収める。
羽柴秀吉が関白となり、豊臣と改姓する。
1586年(天正十四年) 豊臣秀吉が九州攻めを行う。
1587年(天正十五年)頃 三姉妹の次女・お初が北近江の守護家・京極高次へと嫁ぐ。
1588年(天正十六年)頃 三姉妹の長女・茶々が豊臣秀吉の側室となる。
1590年(天正十八年) 豊臣秀吉が関東の北条氏を降伏させ、天下統一を成し遂げる。
1591年(天正十九年) 石田三成が佐和山城主となる。
1592年(文禄元年) お江が秀吉の養子である豊臣秀勝と二度目の婚姻を結ぶ。
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)を行う。
この戦にて豊臣秀勝は病死し、お江は夫と死別することとなる。
1593年(文禄二年) 淀殿(茶々)が拾(後の豊臣秀頼)を産む。
1595年(文禄四年) 豊臣秀吉が、養子であった関白・豊臣秀次を高野山に追放し、後に自害させる。(秀次事件)
お江が徳川家康の嫡男・秀忠と三度目の婚姻を結ぶ。
お初の夫である京極高次が秀吉より6万石を与えられ大津城に入る。
1597年(慶長二年) 第二次朝鮮出兵(慶長の役)が行われる。
1598年(慶長三年) 豊臣秀吉が病没する。
1600年(慶長五年) 関ヶ原にて石田三成を主将とした西軍と徳川家康を主将とした東軍が激突し、東軍が勝利する。
1603年(慶長八年) 徳川家康が征夷大将軍となり、徳川幕府を開く。
豊臣秀頼(茶々の子)が徳川家康の孫・千姫(お江の子)と結婚する。
1604年(慶長九年) 井伊直継が彦根城を築城開始する。
1605年(慶長十年) お江の夫・秀忠が第二代徳川将軍となる。
1614年(慶長十九年) 徳川家康が豊臣家の大坂城を攻撃(大坂冬の陣)するも、決着はつかず和議を結ぶ。
この和議の際、お初は姉の豊臣家と妹の徳川家の間を和平をとりもつため尽力したが果せなかった。
1615年(慶長二十年) 徳川家康が再度豊臣家の大坂城を攻撃し、豊臣家を滅亡させる。[大坂夏の陣]